長島城

別名 松箇島城  付近住所 三重県桑名市長島町西外面2188 現在 長島中部小学校
2010/1/11 案内板・移築門アリ 日本城郭大系


藤原氏

伊藤氏

滝川一益
織田信雄
豊臣秀次

福島高晴
宇陀松山藩へ

阿保藩より
菅沼定仍→
菅沼定芳
廃藩

那須藩
久松
松平康尚→
松平忠充
改易

下館藩より
増山正弥→
増山正任→
増山正武→
増山正贇→
増山正賢→
増山正寧→
増山正修→
増山正同
 寛元3年(1245年)藤原道家が長島城をこの地に初めて造り、次いで文明年間(1482年)伊勢国安濃郡長野の伊藤重晴が再建しました。元亀・天正の頃、(1570〜1574年)一向衆がこの城において、織田信長と交戦しました。元禄15年(1702年)増山正弥(まさみつ)が長島城に移り、明治4年、廃藩に至るまで8代175年間に及びました。長島といえば増山氏2万石の城下町として知られています。この長島絵図は、正保年間のものと云い伝えられていますが、詳細は明らかではありません。

旧長島城大手門
この山門は、第11世賢道の代の明治9年(1876年)に、蓮生寺が長島城大手門の払い下げを受け同寺の山門として移築したものである。旧大手門よりも縮小されているが、瓦に増山氏の家紋がそのまま残されており、長島城の建造物として、その面影を留めている。

           


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